第7回 LIXIL国際大学建築コンペ

審査員が語る 「自然の中のスパ」

左から、隈研吾氏(審査委員長)、野城智也氏(第2〜7回審査委員)、小山薫堂氏(第4・7回審査委員)、デイナ・バントロック氏(第4回最優秀校指導教官、第5〜7回審査委員)、塚本由晴氏(第6・7回審査委員)、新谷眞人氏(第6回審査委員)

LIXIL住生活財団主催、世界の建築系大学を対象とした実施コンペである「LIXIL国際大学建築コンペ」が第7回目を迎えます。2016年10月21日、北海道大樹町にあるメム メドウズで第6回最優秀校のデンマーク王立芸術アカデミーによる「INFINITE FIELD」竣工式が行われ、同時開催されたシンポジウムでは、第7回のテーマ「自然の中のスパ」について審査委員の方々に話し合っていただきました。

──第7回のテーマは「自然の中のスパ」ということで、お風呂やそれに付随する空間となりますが、どういった可能性が考えられますでしょうか。

隈研吾(以下、隈)  グローバリゼーションで世界の均一化が進む時代にもかかわらず、お風呂に対する考え方には国民性が大きく現れます。他人の前で裸になるのを恥ずかしがる人もいれば、そうでない人もいて、僕の経験上、最も恥ずかしがらないのはドイツ人のように思います。次にフィンランド人ですかね。以前、東京のフィンランド大使館で行われたサウナディナーに招待されたことがあり、サウナの前にシャンパンやキャビアが並んでいて、それらを飲んで食べたらサウナに入って、出てきたらまた飲んでを繰り返すというものでした。彼らにとってサウナは特別な文化であり、外交手段としても使うのです。一方で、開放的なイメージのあるスペインやイタリアなど南方の人は、すごく恥ずかしがって閉じた空間をお風呂として好むようですね。日本人は普段はすごくシャイなのに、お風呂ではまったく抵抗なく他人の前でも裸になります。そうしたギャップが感じられるのもお風呂ならではなのかなと思います。

野城智也(以下、野城)  日本には「裸の付き合い」という言葉があります。普段は恥ずかしがってしまうけど、裸になることで心身共に身ぐるみ剥がして本音の付き合いをしましょうということですね。今回は過去6回に比べて最も人間が無防備になる空間・時間を対象にしたテーマです。日本同様にパブリックな場と考える国もあれば、徹底的にプライベートな空 間と捉える国や文化も多いでしょう。先ほど隈さんからフィンランドのサウナに纏わるお話がありましたが、フィンランドは湖がたくさんある国です。湖畔沿いに建つサウナ付きの別荘で家族とゆっくり過ごしながら、目の前の湖に飛び込み、上がったらサウナで体を温めるというようなのもサウナの楽しみ方のひとつとしてあるのかなと。サウナは湖とセットで成り立っている部分もある。つまり、周辺の環境をどうデザインするかが重要だと思います。日本には温泉や銭湯など日本ならではのお風呂文化がありますが、それを一所懸命に読み込んで再現するのではなく、それぞれの国が持つ文化的背景などを手掛かりに、みなさんなりに解釈し、その上でここの環境で何ができるかを考えてもらいたいです。

デイナ・バントロック(以下、デイナ)  私はずいぶん前に九州の指宿の砂風呂に入ったことがあります。桜島では山々を見ながらお風呂に入りました。このように、日本の中でもさまざまなお風呂の形式があります。この敷地ならではのお風呂の楽しみ方を提案してほしいですね。去年のコンペで最優秀校になったオスロ建築デザイン大学の「INVERTED HOUSE」は、屋外に湯船が設置してあり入浴しながら景色や環境を楽しめます。その反面、今日みたいに寒い日はあまり入りたいとは思えません・・・。お風呂だけでなく、その周りを含めていかに快適な環境をつくるかを考えなければならないと思います。

新谷眞人(以下、新谷)  僕は宗教の違いがひとつのポイントになると思います。日本のお風呂を基準に考えると、みんなが裸になって入るからこそつくられる関係性がお風呂のよいところとして捉えられがちですが、僕はそうでもないような気がします。ひとりで静かに入りたい人のために五右衛門風呂みたいなものもあると思いますし、宗教的に露出を抑えないといけない場合もあるかもしれない。そうした観点からもどういった提案が出てくるか楽しみです。

塚本由晴(以下、塚本)  コペンハーゲンではシャワーが基本でほとんど湯船に浸からないそうなのですが、その理由は湯船に水を貯めるなんて贅沢だからだそうです。デンマークの雨量は東京の1/3くらいですが、標高が高いところでも200m以下と降水が位置エネルギーを持ちません。日本の場合、海からくる湿った空気が山にぶつかり雲になって雨が降ります。そして、雨水が時間をかけて地面に浸み込んで流れる過程で火山活動付近を通ることで、温められた水が温泉となって湧き出たりします。発電にも水の流れを用いたりしますが、それは地形という素晴らしいギフトを地球からもらっているからです。お風呂を考えることは人間社会の習慣や文化といった側面だけでなく、それが比較的手に入りやすいことの前提となる自然の資源、国土、風土を考えることにも繋がります。

フィンランドではサウナで火を炊くための薪は周辺の森から採ってくるし、水は湖からくんできます。汗をかいた時に飛び込むのも湖や海だったりと、身の回りのものを駆使して自然との一体感にあふれた体験をつくり出しています。現代において私たちの身の回りにあるものはほとんど産業社会がつくり出したもので、どこからきたのか、誰がつくったのか、よく分かりません。そして私たちはそれが当たり前になってしまっています。建築における資源へのアクセシビリティを考える上でもお風呂は面白い題材です。それはお風呂を考えることが同時に風土を考えることであり、私たちを取り巻く産業社会の行く末を考えることにもなるからです。

──みなさん、ありがとうございました。今お話いただいただけでも、文化、環境、宗教、地形とさまざまな観点からアプローチできそうですね。今回、第7回コンペでは小山薫堂さんにも審査委員を務めていただきます。テーマについてコメントをいただいております。

小山薫堂  今回のテーマは「自然の中のスパ」ということで、僕自身もとてもわくわくしています。と言うのも、実は今、「湯道」なるものを文化にするための取り組みを進めています。「茶道」は何百年もの歴史を経て、ひとつの芸術・文化として語られています。おもてなしがあって、風景があって、懐石料理を食べる。そうしたプロセスの中でお茶を楽しむのが「茶道」です。お風呂についても同様に環境やプロセスを含めて考えることで、400年後には「湯道」として確立できるのではないかと思います。お風呂に入ることは日本では当たり前の行為ですが、世界的に見ると、人が飲む水を沸かしてそこに人が入る、こんな贅沢なことができる国は意外と少ないのではないでしょうか。つまり、本来はお風呂に入る度に感謝しなければならないのです。そして、お風呂に入る際は一緒に入る人、次に入ってくる人を慮らないといけないのであり、他者に心を寄せる行為として精神性を養うことにも繋がっていきます。京都の大徳寺の塔頭寺院である真珠庵の和尚様から「湯道温心」という言葉をいただきました。お湯に浸かることで自分の心の中で新しい発見をしたり、ストレスから解放されることを表します。そうした精神的な効果もお風呂にはあり、しかもそれが大自然の中にあったら、入院するよりもここでお風呂に入った方が精神的にも肉体的にも健康になる可能性も考えられるかもしれないですね。湯道家元としてどんな作品が出てくるのか楽しみにしております。

──小山さんからお風呂の精神性や精神的効用についてのお話をいただきました。では、議論を続けていきましょう。

新谷  僕は以前、地獄谷温泉を見に行ったことがあります。あそこの温泉は猿が入浴することで有名なんですが、猿が本当に楽しそうにしていたのが印象的でした。4匹ぐらいが並んで、前の猿の毛づくろいをするわけですよ。ある程度時間が経つと前後替わってたりしてね。文化とか精神とか宗教とかももちろんあるのですが、猿が一緒に入ってくれるお風呂、あるいはここの敷地では馬が一緒に入れるお風呂というのもあるかもしれません。テーマが「In the nature」ですから、純粋に自然や動物と一緒に楽しめるお風呂もよいのではないかと思います。

デイナ  今回は設備について考えることが大事になってくると思います。機器に頼らずパッシブな仕組みを考えてもよいでしょう。また、建材は自然のものを使うのか、あるいは人工のものを使うのか、両方という可能性もあります。このように設備や材料という観点からアプローチも非常に重要ですね。

塚本  お湯について考えることも大事です。まず熱源ですが、太陽を利用するのか、何か燃やして熱を得るのであれば、周りの風景の中から何を燃やせるのか考える必要もあります。建物自体はきっと小さいのでしょうが、それを起点に形成されるネットワークは風景全体に広がっていくような気がします。また、使ったお湯をどうするのか考えるのも面白いですね。使用後のお湯を熱の塊として捉えることで、デイナさんがおっしゃったように、環境的な配慮から建築的にいろいろなことが想像できるのではないでしょうか。

野城  素材についてはよく考えてもらいたいです。表面温度が冷たいか暖かいかなど、素材に対する感覚はユニバーサルに共通してあると思います。日本で実際によくお風呂に使われる素材は建物が断熱されていることが前提なのか、随分冷たいものが多いように思います。周りの環境の表面温度をどのようにつくるかにも意識を持ってもらいたいですね。大樹町で財団のご協力の下、東京大学の馬郡研究室と一緒に実験し、外気は−20度の中、太陽光だけで二重窓の中に40度のお湯をつくれることが分かりました。日照の豊かさを使った計画もあると思います。

──本日は会場にダルコ・ラドヴィッチさんや、デンマーク王立芸術アカデミーの指導教官であるブリックス先生もいらっしゃっていますので、ご意見を伺ってみましょう。

ダルコ・ラドヴィッチ  はじめ「スパ」という言葉を聞いて多くの制約が課されてしまうように感じましたが、お話を聞いてるといろいろな可能性があることが分かりました。複雑に考えるのではなく、とにかく体を喜ばせるようなことを第一に考えてもらいたいです。アメリカ人も、ヨーロッパ人も、アジア人も、オーストラリア人も、みんな体は同じように反応します。そしてお風呂というのは体の喜びを意味していると思います。水があれば体の、心の深いところで感じると思うのです。体は自然の中の一部です。われわれの体は元もと70、80%は水でできていると言われています。だから体を水に沈めると心地よく感じるのではないでしょうか。見た目だけでなく、体感としての心地よさをデザインしてもらいたいです。あとは、場所との関係性、そして誰がユーザーになるかということもあると思います。夏と冬で使い方も変わるでしょうし、あまり概要に縛られすぎずに、自由な発想で取り組んでもらいたいです。

アンダース・ブリックス  多くの国が一緒にお風呂を楽しむ文化を持っていますが、これはプライベートをシェアするから親しくなれるという風に捉えることもできると思います。塚本さんがデンマークにはバスタブがないとお話をされました。その原因は、私がまだ子どもだった1970年代の石油ショックです。熱がとにかく得られない時代で、政府がシャワーだけにするように通達したのです。そうして、デンマークのお風呂は入って綺麗にしたら出るという、非常に効率のよいものになっていきました。ただ今では、一部の家庭でバスルームはキッチンやリビングのようにリラックスするための空間として復活してきています。このように、お風呂は必ずしも水を意味するのではなく、熱として考えることも同じくらい重要です。スカンジナビアでは、冷たい水は常に目の前にありますが、温かいものはありません。そのため熱は非常に大事であり、水が元もとない地域では「熱=お風呂」だったのです。

──みなさんからいろいろなお話がありましたが、最後に、審査委員長の隈さんから一言いただけますでしょうか?

  今回は参加チームが属している場所や文化が非常に大事になりそうですね。また、熱源や素材など、根源的なところに対する提案が大事になってくる気がします。そもそもの条件設定であったり、デザインのベースにあるお湯とは何かとか、人間とお湯がどう接するのかとか、ある種の哲学的な側面から今までにないような提案が期待できるかもしれません。各国からどのようなお風呂のあり方の提案がされるのか、大変楽しみにしています。

配置図、敷地

(2016年10月21日、北海道大樹町 メム メドウズにて 文責:『新建築』編集部)

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